探仏記Ⅲ ~気まぐれ仏像探訪~

気が向いたら出かけてみようか・・・

行快

仏師・行快の仕事(2)

前回 「仏師・行快の仕事」 を記したのが昨年の12月19日。

当然ながらWikipediaで『行快』を検索して確認したのだが、その時には作品がそれほど多く記載されていなかった。様々な書籍を確認しつつ、自分なりに行快仏を特定してみたのだが、今日改めてWikipediaで『行快(仏師)』を確認してみると、あらら、沢山作品群が載ってる。更新日付が2015年12月18日 (金) 05:50 となっているから、記事をアップした前日には更新されていたようだ。まったく気付かず。


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《Wikipediaより》
●「地蔵菩薩立像」 藤田美術館蔵 「巧匠/法眼快慶」「開眼/行快」
「十大弟子像」のうち「優波離」 大報恩寺 「法眼/快慶/□□/行快/法橋」 「阿那律」「富楼那」が仏師のクセが出やすい耳の造形が近く、特に「阿那律」は同寺にある釈迦如来坐像と横顔における耳の配置なども酷似し、行快作の可能性が高い。
「阿弥陀三尊像」のうち「観音菩薩像」 滋賀・西教寺 「巧匠/法橋行快」
「阿弥陀如来立像」 極楽寺(城陽市) 「法橋行快」
「釈迦如来坐像」 大報恩寺 「巧匠/法眼行快」
「不動明王坐像」 金剛寺(京都国立博物館寄託)「造立大仏師法眼行快 小仏子字肥後公 字丹後公」、「天福二年」の墨書銘が見つかり、天福2年(1234年)行快の作であることが判明した。本像と対となる降三世明王坐像(奈良国立博物館寄託)も、銘記は確認されていないが、行快作である可能性が高い。
「阿弥陀如来立像」 阿弥陀寺(長浜市) 「巧匠/法眼行快」
「千手観音像」(第490号) 蓮華王院 「法眼行快」
「阿弥陀如来立像」 北十萬(大阪) 「巧匠/法眼□□」

行快作の可能性が高い像
「阿弥陀如来立像」 浄信寺(滋賀県) 「□□法橋行□」
「阿弥陀如来立像」 遍照寺(三重県) 1230年代頃か
「阿弥陀如来立像」(三尊のうち) 峰定寺 1230年代頃か
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自分が調べたものと比較してみる。(画像は前回記事からの使い回し) 
gyokai-1
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[行]Wikipediaで行快仏とされてる
[推]Wikipediaで推定行快仏とされてる
[無]Wikipediaでは記述なし


■鉄馬童子選:行快作
[行]1.大報恩寺(京都)釈迦如来1227年頃「巧匠法眼行快」
[行]2.妙法院(京都)千手観音1249~63年「巧匠法眼行快」
[行]3.阿弥陀寺(滋賀)阿弥陀如来1235年「巧匠法眼行快」
[行]4.極楽寺(滋賀)阿弥陀如来1227年「法橋行快造之」
[行]5.北十萬(大阪)阿弥陀如来13世紀前半「巧匠法眼」
[無]6.浄土宗(京都)阿弥陀如来1212年推定 ※旧・玉桂寺(滋賀)所蔵
[推]7.遍照寺(三重)阿弥陀如来鎌倉中期推定
[行]8.金剛寺(大阪)不動明王1234年「造立大佛師法眼行快」
[推]9.同上降三世明王同上推定
[行]10.西教寺(滋賀)観音菩薩1216~27年「巧匠 法橋行快」
[無]11.同上阿弥陀如来同上推定
[無]12.同上勢至菩薩同上推定
[推]13.浄信寺(滋賀)阿弥陀如来1216~27年「□□ 法橋行」
■鉄馬童子選:行快または周辺仏師による作、快慶補佐としての作
[推]E1.峰定寺(京都)阿弥陀如来12xx年行快または周辺
[無]E2.常福寺(富山)阿弥陀如来12xx年行快または周辺
[無]E3.西岸寺(滋賀)阿弥陀如来12xx年行快周辺
[無]E4.華階寺(滋賀)阿弥陀如来12xx年行快周辺
[無]E5.青龍寺(滋賀)阿弥陀如来12xx年行快周辺
[行]E6.大報恩寺優波離1220年「法眼快慶□□行快法橋」銘(快慶補佐)
[推]E7.同上阿那律同上推定(快慶補佐)
[推]E8.同上富楼那同上推定(快慶補佐)
[行]E9.藤田美術館地蔵菩薩1208~23年「巧匠法眼快慶」「開眼行快」銘(快慶補佐)

行快銘がある仏像は
8躯 Wikipediaでは9躯
推定行快とされる仏像を加えると13躯 Wikipediaでは15躯

自分のカウントと異なるのが、大報恩寺・優波離と藤田美術館・地蔵菩薩が行快作とされているところ。
逆に西教寺・阿弥陀如来&勢至菩薩は明記されておらず、浄信寺・阿弥陀如来も推定行快作とされている。
浄土宗(旧玉桂寺)・阿弥陀如来は推定仏にも記載されていない。浄土宗のHPには「・・・
快慶の直弟子の行快作と想定される。」とあるけど。

先ほど気付いたため、あまり調べる時間がなかったのでまた今度いろいろ確認してみようと思う。
 

仏師・行快の仕事

注意:内容が冗長であり、内容についても個人調べの程度という事を最初に記しておく
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快慶・三尺阿弥陀を調べてて、別で気になったのが快慶の高弟である行快の仏像。行快仏は10躯近くあるようだが、あまり詳しくは調べてないので、過去の銘文発見時の新聞記事などで情報を探してみた。

①快慶の一番弟子、行快の作 大阪・金剛寺の重文仏像 (2010年11月
article1  『大阪府河内長野市の金剛寺にある重要文化財「不動明王坐像」(像の高さ258センチ)が、鎌倉時代の仏師快慶の一番弟子だった行快の作と分かり、同市教育委員会が10日発表した。修理方法などについて指導している長田寛康大阪経済大教授(美術史)は行快作とされる仏像はほかに7体あるが、今回のが最大で代表的な仏像となるだろう。制作年代も判明したことで、寺の変遷も分かる」としている。(後略) 〔共同〕

行快の作の仏像と確認 [滋賀] (2011年7月
article2 『滋賀県大津市の天台真盛宗総本山・西教寺に安置されていた木造阿弥陀三尊像の1体から、鎌倉時代を代表する仏師、快慶の一番弟子・行快(ぎょうかい)の墨書が見つかり、2011年7月15日(金)、大津市歴史博物館が発表した。銘文で行快作と確認されたのは7件目で、その中では最古。鎌倉初期の1216~1227年ごろの作品とみられる。行快の作品は大きな目やきつい表情などが特徴とされてきたが、同像の目は細く、優しい表情で快慶の作風に近い。(後略)』 〔InternetMuseum〕

長浜市指定文化財 木造阿弥陀如来立像(浄信寺) (2013年9月
 article3『(前略)平成24年に、大津市歴史博物館と東京文化財研究所が実施した文化財調査によって、左足枘(あしほぞ)外側に記された墨書きが「□□/法橋行」と読めることが判明しました。(中略行快の銘をもつ作品は全国で8例ほどが確認されていて、県内では、同じく法橋時代の作である大津市坂本・西教寺阿弥陀三尊像や、法眼時代の作である西浅井町菅浦・阿弥陀寺阿弥陀如来立像(1235年、重要文化財)などが知られます。(後略) 〔ながはまの文化財〕



記事①より金剛寺像・西教寺像・浄信寺像を除いて7躯あることになる。Webや文献を検索した結果、行快仏7躯は以下の1~7あたりになるかと思われる(順番は適当)。ただし、6・7は若干あやしい....「
行快作と想定される」「行快の作風に極めて近い」といった表現であくまでも推定行快作。

1.大報恩寺(京都) 釈迦如来 1227年頃 「巧匠法眼行快」
2.妙法院(京都) 千手観音 1249~63年 「巧匠法眼行快
3.阿弥陀寺(滋賀) 阿弥陀如来 1235年 「巧匠法眼行快」
4.極楽寺(滋賀) 阿弥陀如来 1227年 「法橋行快造之」
5.北十萬(大阪) 阿弥陀如来 13世紀前半 「巧匠法眼」
6.浄土宗(京都) 阿弥陀如来 1212年 推定 ※旧・玉桂寺(滋賀)所蔵
7.遍照寺(三重) 阿弥陀如来 鎌倉中期 推定

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記事①~③の仏像は以下の8~13の6躯。

8.金剛寺(大阪) 不動明王 1234年 「造立大佛師法眼行快」銘 ・・・記事①
9.同上 降三世明王  同上 推定
10.西教寺(滋賀) 観音菩薩 1216~27年 「巧匠 法橋行快」銘 ・・・記事②
11.同上 阿弥陀如来  同上 推定
12.同上 勢至菩薩  同上 推定
13.浄信寺(滋賀) 阿弥陀如来 1216~27年 「□□ 法橋行」銘 ・・・記事③
 
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以下のように記事の内容と照合しても矛盾がないように思える。(前述のように6・7あたりはあやしいけど)
②の記事:1~12の中で7件(1・2・3・4・5・8・10)に銘あり。
③の記事:1~13の中で、13は銘がある仏像としては8例目。


上記が正しいとすると、結論として...

行快銘がある仏像は
8躯

推定行快とされる仏像を加えると
13躯


...となる。半分以上が阿弥陀如来だが意外と多作、ここ最近1~2年おきに発見されてるので今後も増える可能性がある。ただ、拝観したことがあるのは金剛寺像、妙法院像、浄土宗像の4躯のみ、なかなか拝観は難しそう。
他に銘がある仏像、行快系統と想定される仏像は以下の通り。E6~E9は行快が作った可能性はあるものの基本的には快慶仏として扱われてる。

E1.峰定寺(京都) 阿弥陀如来 12xx年 行快または周辺
E2.常福寺(富山) 阿弥陀如来 12xx 行快または周辺
E3.西岸寺(滋賀) 阿弥陀如来 12xx 行快周辺
E4.華階寺(滋賀) 阿弥陀如来 12xx 行快周辺
E5.青龍寺(滋賀) 阿弥陀如来 12xx 行快周辺
E6.大報恩寺 優波離 1220 「法眼快慶□□行快法橋」銘 =快慶仏
E7.同上 阿那律 同上 推定
E8.同上 富楼那 同上 推定
E9.藤田美術館 地蔵菩薩 1208~23 「巧匠法眼快慶」「開眼行快」銘 =快慶仏

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行快仏は快慶の作風を踏襲しつつも、吊り目気味な顔立ちや、釈迦如来・明王像など堂々たる体躯で快慶仏以上に迫力があり、独自の個性を確立している点が魅力的。10年ほど前の書籍 「日本の美術(No459) 鎌倉時代の彫刻」 に興味深い記述がある。

 『大報恩寺や阿弥陀寺像を見ていると、行快は徐々に運慶風に心惹かれていったかにみられる。逆に湛慶は、快慶との造像も多く、快慶の影響を受けたように見えるのは面白い。』


運慶の後継=湛慶が快慶に、快慶の後継=行快が運慶に、それぞれ傾倒していったのだとしたらそれは慶派の棟梁・運慶には看過することができなかったかもしれない。もしかしたら運慶が生前に、快慶に傾倒していく湛慶に危機感を覚え、自分の作風を踏襲する次男・康運(=肥後定慶)に慶派の嫡流を継がせようとして三代目に康運の子息・康円を指名したのかもしれない。(康運=肥後定慶、康円=康運子息は一説であり、異説もある) 運慶没後、三十三間堂の復興事業では湛慶・康円・行快が慶派の代表格として共に活躍しているのは興味深い。後継者にしてみれば常に運慶と比較されるのは辛かったのかもね。いずれにせよ、時代と共に仏像の需要減退もあって運慶風は徐々に影を潜めていくことになる。

行快仏を調べてたはずがいつの間にか色々と妄想してしまった。仏像を
二次元でしか見ていないとこうなるので、年末にはどこか仏像拝観に出かけないと。
 

気になる寺院....金剛寺

大阪府河内長野市にある天野山金剛寺

名前を知ったのは2012年に奈良国立博物館で降三世明王を拝観した時。

2m超の迫力ある巨体、物凄い形相.....

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快慶弟子の行快・作で、
顔付きが快慶の不動明王に似てる。



....ということもあったのだが、それよりも修復前後のギャップがすごい!


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もはや別人、いや別仏.....やはり顔(目元)で印象って変わるもんだなぁ....




金剛寺・金堂内陣には大日如来を中心として左右に不動明王・降三世明王。

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不動明王修復時に行快銘が発見され、もう片方の降三世明王も作風から行快工房作と推定される。


そして不動明王も修復が完了し、今秋より京都国立博物館で中尊・大日如来と共に展示されてる。

京都国立博物館_平成知新館

いろんなところで展示室の画像を見かたのだが、どうも不動明王の姿が今ひとつわからない。




.....と思ってたら先日とある番組で真正面からの映像が流れてた。

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遂に!....というか実仏が見たければ京博に行けばいいだけなんだけど。

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思ったほど怖い顔ではなかった(あくまでも画像見る限り)。眼がクリクリしてるように感じる。

降三世明王ほどの迫力は感じないが、バランスがよくドッシリ構えててなかなか良さげ。



快慶・作の醍醐寺・不動明王に近しい作風なのではと想像していたが、そうでもなかった。

むしろ降三世明王のほうが快慶仏に近い感じ。それにしても行快仏は2躯とも額が狭い。


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ところで、修復後の仏像はいつ寺で拝観できるのか.....

金剛寺のHPを見ると改修工事は平成21年から9年間かけて、とある。

ということは、平成29~30年(2017~18年)あたり?まだ随分先....

イメージとしてはこんな感じになるだろうか

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今から楽しみだ 



降三世明王といえば、三面八臂で降三世印を結び、大自在天と烏摩妃を踏みつける姿が一般的(?)

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しかしながら、金剛寺仏は二臂で髪を高く結い上げ宝冠を被り、しかも坐像。

河内長野市のHPの解説によると、密教の尊勝曼荼羅を立体表現したもの、との事。

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これがその曼荼羅。なるほど配置も姿形も図像と一致する。

そもそも
尊勝曼荼羅とは何か? .....だんだん難しくなってきたのでひとまずココまで。




結局のところ、早くお寺で三尊を拝観したいな、というだけのことなんだけど。

奈良一日探仏の旅: ⑨なら仏像館 名品展@奈良博

いよいよメイン・イベント、奈良博へGO!


 奈良国立博物館 
 2014/8/12
なら仏像館 名品展 珠玉の仏たち

まずは肩慣らし、名品展から.....(もう十分慣らしてきたのだが)
20140812 (54)
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なら仏像館は9月8日から1年半の期間、改修工事のため閉館になるので見ておきたかった。今回のラインアップは以下のような感じ
<クリックで詳細表示>
20140812 (59)

国宝の薬師如来×2躯(元興寺、奈良博)や如意輪観音(奈良博)、弥勒菩薩(林小路町)など、いつも展示されていた仏像が見られず残念。特別展示としていくつか模造が展示されており、その分でスペースがとられていたようだった。今回入場して広目天・多聞天があるのは前回と変わらずだったが、真ん中には腰を大きく捻ってる勝林寺・十一面観音になっていた。

快慶仏としては、阿弥陀如来(浄土寺、重文)と不動明王(正寿院、重文)が展示されていた。いずれも快慶らしい仏像だと思う。正寿院像は明確に快慶作を証明できるものはでていないようだが、作風から快慶と想定されている。最初に見た興善寺・阿弥陀如来と同じパターンだ。快慶の高弟・行快による降三世明王(金剛寺、重文)も大きさといい顔の表情といい、物凄い迫力。

第1室の中央奥には前回来た時と同様で丈六の阿弥陀如来(外山区、「とびく」と読む)。午前中に吉田寺の丈六仏を拝観した際も迫力を感じたが、こちらは更に近く(1mくらいの至近距離)まで寄って見れるので圧倒される。これが文化財指定されていないのだから、まだまだ奈良は奥が深い。

館内2周ほど見て回って、いよいよ醍醐寺展へ。
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