探仏記Ⅲ ~気まぐれ仏像探訪~

気が向いたら出かけてみようか・・・

三尺阿弥陀

春の奈良旅(2) 『快慶』@奈良国立博物館

(記載日:2017/4/29)

ついにこの日がやってきた。勇んで来たものの、この前に既に二ヶ寺で多くの仏像を拝観してきたので、小休止がてら館内の喫茶店で一服。

奈良国立博物館
特別展 快慶 ~日本人を魅了した仏のかたち~
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16時前に満を持して入館、この日は夜間拝観日で19時の閉館間際まで約3時間鑑賞。今思えば、少々(いや、だいぶ)気負いすぎていたのだと思う。入ってすぐに右も左も前も後ろも快慶仏で、しかも所々初見仏もあり、展示されてる物は仏像から像内品などすべて解説を読んで情報を漏らすまい、とあれこれ考え過ぎていたかもしれない。結論から言うと、個々の像に対してあまり良く思い出せないのだ。

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この時点でまだ展示されていない3軀(醍醐寺・弥勒、西方院・阿弥陀、藤田美術館・地蔵や菩薩面を除くと、快慶仏が33軀、それ以外で26軀の計59軀。見応えがあった....いや、あり過ぎて記憶が曖昧....今、かろうじて思い出せる事。

●如意寺・地蔵菩薩:想像より大ぶりな像だった、小仏かと勘違いしていた
●松尾寺・阿弥陀如来:肩の部分に削れた部分があってネズミにでも齧られたのかなと...
●悲田院・阿弥陀如来:お寺で見た時のインパクトがまったく無くビックリ、光背が無いからかも
●金剛院・深沙大将:金剛峯寺像より小柄ながら、大きな動きが感じられて特筆すべき素晴らしさ
●新大仏寺・如来:元々は立像だったらしく大きさを想像するととてつもない。なんで金箔貼っちゃったのか....
●知恩寺・阿弥陀如来:隣の遣迎院像と見比べて、やはり近似していると感じた....快慶仏である事を確信
●キンベル美:釈迦如来:光背も含め全体が美しく、ほぼ完璧な形で残っている事が奇跡としか言いようがない

三尺阿弥陀は色々思いがあり過ぎ、また各々をきちんと見れてない....できれば全尊横並びにしてほしかったけど。不動明王3軀も同様。こんな感じで取り留めもない印象しか残っていないのが正直なところ。

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あえて言えば今回は特にこの像が一番印象に残っている。(画像はパンフより)

深沙大将といえば金剛峯寺像が好きなのだが、同じ尊像でもこちらは小ぶりながら写実性、動き、表現力が本当に優れていて今にも動き出しそうな迫真の像であった。これまで画像で見る限りでは正直なところ、色も剥落していてどことなく精細を欠くような印象だったが、百聞は一見にしかず、このリアルさが快慶の真骨頂なのではないか。

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閉館間際までいたためショップでグッズを物色している時間がなく、購入できたのはこの2点のみ。ただ大きな買い物、この図録は快慶に関するほぼ全ての事が載っている貴重本だ。まだ完全に見れているわけではないが、光台院、遍照光院、大行寺像以外は、展示されていない仏像も含めてほぼ全網羅されているようだ。これはかなり強力な内容で、これ以上の書籍はそうそう出てこないと思われる。

外に出るとすっかり暗くなっていた。暗闇に快慶の仏像が浮かぶ。
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続いて、20時まで開館している仏像館の方にも行ってみたが、まったく集中力がなく隣接する青銅器館へのみ立ち寄り、この日は拝観終了とした。
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快慶展は消化不良であった。内容は素晴らしい、それに頑張って食らいついていこうと気負いすぎて完全に雰囲気に飲まれて出てきた感じになってしまった。1ヶ月後を目標に再度来館する予定なので、今度は気負わず、自分のお気に入りをひたすら堪能しようと思っている。

仏師・行快の仕事(2)

前回 「仏師・行快の仕事」 を記したのが昨年の12月19日。

当然ながらWikipediaで『行快』を検索して確認したのだが、その時には作品がそれほど多く記載されていなかった。様々な書籍を確認しつつ、自分なりに行快仏を特定してみたのだが、今日改めてWikipediaで『行快(仏師)』を確認してみると、あらら、沢山作品群が載ってる。更新日付が2015年12月18日 (金) 05:50 となっているから、記事をアップした前日には更新されていたようだ。まったく気付かず。


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《Wikipediaより》
●「地蔵菩薩立像」 藤田美術館蔵 「巧匠/法眼快慶」「開眼/行快」
「十大弟子像」のうち「優波離」 大報恩寺 「法眼/快慶/□□/行快/法橋」 「阿那律」「富楼那」が仏師のクセが出やすい耳の造形が近く、特に「阿那律」は同寺にある釈迦如来坐像と横顔における耳の配置なども酷似し、行快作の可能性が高い。
「阿弥陀三尊像」のうち「観音菩薩像」 滋賀・西教寺 「巧匠/法橋行快」
「阿弥陀如来立像」 極楽寺(城陽市) 「法橋行快」
「釈迦如来坐像」 大報恩寺 「巧匠/法眼行快」
「不動明王坐像」 金剛寺(京都国立博物館寄託)「造立大仏師法眼行快 小仏子字肥後公 字丹後公」、「天福二年」の墨書銘が見つかり、天福2年(1234年)行快の作であることが判明した。本像と対となる降三世明王坐像(奈良国立博物館寄託)も、銘記は確認されていないが、行快作である可能性が高い。
「阿弥陀如来立像」 阿弥陀寺(長浜市) 「巧匠/法眼行快」
「千手観音像」(第490号) 蓮華王院 「法眼行快」
「阿弥陀如来立像」 北十萬(大阪) 「巧匠/法眼□□」

行快作の可能性が高い像
「阿弥陀如来立像」 浄信寺(滋賀県) 「□□法橋行□」
「阿弥陀如来立像」 遍照寺(三重県) 1230年代頃か
「阿弥陀如来立像」(三尊のうち) 峰定寺 1230年代頃か
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自分が調べたものと比較してみる。(画像は前回記事からの使い回し) 
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[行]Wikipediaで行快仏とされてる
[推]Wikipediaで推定行快仏とされてる
[無]Wikipediaでは記述なし


■鉄馬童子選:行快作
[行]1.大報恩寺(京都)釈迦如来1227年頃「巧匠法眼行快」
[行]2.妙法院(京都)千手観音1249~63年「巧匠法眼行快」
[行]3.阿弥陀寺(滋賀)阿弥陀如来1235年「巧匠法眼行快」
[行]4.極楽寺(滋賀)阿弥陀如来1227年「法橋行快造之」
[行]5.北十萬(大阪)阿弥陀如来13世紀前半「巧匠法眼」
[無]6.浄土宗(京都)阿弥陀如来1212年推定 ※旧・玉桂寺(滋賀)所蔵
[推]7.遍照寺(三重)阿弥陀如来鎌倉中期推定
[行]8.金剛寺(大阪)不動明王1234年「造立大佛師法眼行快」
[推]9.同上降三世明王同上推定
[行]10.西教寺(滋賀)観音菩薩1216~27年「巧匠 法橋行快」
[無]11.同上阿弥陀如来同上推定
[無]12.同上勢至菩薩同上推定
[推]13.浄信寺(滋賀)阿弥陀如来1216~27年「□□ 法橋行」
■鉄馬童子選:行快または周辺仏師による作、快慶補佐としての作
[推]E1.峰定寺(京都)阿弥陀如来12xx年行快または周辺
[無]E2.常福寺(富山)阿弥陀如来12xx年行快または周辺
[無]E3.西岸寺(滋賀)阿弥陀如来12xx年行快周辺
[無]E4.華階寺(滋賀)阿弥陀如来12xx年行快周辺
[無]E5.青龍寺(滋賀)阿弥陀如来12xx年行快周辺
[行]E6.大報恩寺優波離1220年「法眼快慶□□行快法橋」銘(快慶補佐)
[推]E7.同上阿那律同上推定(快慶補佐)
[推]E8.同上富楼那同上推定(快慶補佐)
[行]E9.藤田美術館地蔵菩薩1208~23年「巧匠法眼快慶」「開眼行快」銘(快慶補佐)

行快銘がある仏像は
8躯 Wikipediaでは9躯
推定行快とされる仏像を加えると13躯 Wikipediaでは15躯

自分のカウントと異なるのが、大報恩寺・優波離と藤田美術館・地蔵菩薩が行快作とされているところ。
逆に西教寺・阿弥陀如来&勢至菩薩は明記されておらず、浄信寺・阿弥陀如来も推定行快作とされている。
浄土宗(旧玉桂寺)・阿弥陀如来は推定仏にも記載されていない。浄土宗のHPには「・・・
快慶の直弟子の行快作と想定される。」とあるけど。

先ほど気付いたため、あまり調べる時間がなかったのでまた今度いろいろ確認してみようと思う。
 

冬の京都・奈良旅(1日目): 同聚院/極楽寺/観音寺/寿宝寺/西大寺/東大寺

夏季・冬季休暇恒例の奈良・京都旅。いつもなら往復高速バス利用の0泊3日のほぼ日帰り旅だが、今回は少し余裕を持って新幹線1泊2日で行ってきた。やっぱり新幹線のほうが断然楽。9時過ぎに京都駅に到着、初日は東福寺方面から南山城、そして奈良へ移動するルート。拝観した仏像が多いので印象に残ったもののみ記載。


 同聚院  (どうじゅいん、臨済宗東福寺派・東福寺塔頭) 2015/12/26

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東福寺駅から徒歩数分、東福寺の手前。拝観料を払うとあとはどうぞ、と奈良のような自由な雰囲気。本尊は丈六の不動明王(重文)で、定朝の父・康尚作との説あり。間近で拝観できるので丈六の大きさを体感できて◎。左右のガラスケースに小像があり、右手は本尊をコンパクトにしたような不動明王、左手は十一面観音で頭上面にも化仏を配する精巧な細工。

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 極楽寺  (ごくらくじ、浄土宗) 2015/12/26

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近鉄京都線・富野荘駅から徒歩10分ほど、住宅地の中にあるこじんまりとしたお寺。2日前に電話で拝観をお願いしていた。こちらも本堂を開けて頂き、あとはどうぞという感じ。中央檀の本尊は新しめの阿弥陀三尊、向かって左手の檀に行快作・阿弥陀如来(重文)が安置されてる。80cm級の小柄な三尺阿弥陀で、目付きするどく快慶初期作(遍照光院像あたり)に近いと感じた。仏像内部の文書に「過去法眼快慶」の一文があることから、快慶の晩年時期特定につながる有力情報になったとの事。右手の檀には清凉寺式・釈迦如来など。

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 観音寺  (かんのんじ、真言宗智山派) 2015/12/26
 
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近鉄京都線・三山木駅からタクシーで10分弱(920円、寺まで行かず、大通りで降ろしてもらえば7-800円くらいか)、かつては興福寺の末寺であたり一帯が壮大な伽藍だったという。今やあたり一帯は同志社大のキャンパスになってる。拝観を申し込むとご住職と思しき方が本堂を開けて下さり、焼香後に中央厨子の十一面観音(国宝)を手の届くくらいの眼前で拝観できる。拝観してる間、ご住職が朗々と説明して下さるが正直あまり頭に入って来ない。お昼時でもあり拝観中ご住職がずっといて下さるので早いとこ見ないと、と少し焦ってしまいあまり集中できず。

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往路タクシーでバスは2時間に1本くらいしかないと聞いてたので、期待せず徒歩で駅まで向かったのだが、途中バスに追い越された時はショック.....ちょうどあったみたい。徒歩は結局25分くらいかかった。



 
 寿宝寺  (じゅほうじ、高野山真言宗) 2015/12/26
 
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昼食後、同じ三山木駅の線路挟んで反対側に徒歩3-4分ほど、こじんまりとしたお寺が見えてくる。こちらは午前中に電話で何とかお願いをして突撃拝観。お堂を開けて頂き、あとはご自由にという感じ。本尊・千手観音(重文)は実際に千本の腕を持つ真正千手の像で、国内には他に唐招提寺像、葛井寺像と本像の3躯のみらしい。腕が整然と並び美しい。平安仏らしく顔付きは穏やかで、とくかくバランスがいい。右手には等身大の金剛夜叉明王、動きは少々固い(左手には本来降三世明王がいるが、現在京博に寄託中のようだ)。

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この後、奈良に移動したのだが、行くところを決めていなかったためグダグダ。


 西大寺 
 (さいだいじ、真言律宗総本山) 2015/12/26

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三山木から近鉄線で大和西大寺に到着、場所を決める時間ももったいないので、久々に西大寺に行ってみることにした。結局愛染堂まで含めてフル拝観してきてしまった。四王堂の十一面観音(重文)は何度見ても記憶に残らないのだが、拝観すると毎回大きさに圧倒される。次もきっとどんなだったか忘れてるに違いない。本堂では中央の清涼寺式・釈迦如来(重文)や左手の文殊五尊(重文)が良い。特に文殊菩薩は出色で、同じく傑作である快慶作・安倍文殊院像よりも好みかも。愛染堂はレイアウトが大幅変更されてて、以前は本尊を取り囲むように複数の愛染明王があったのだが今は四天王のみで寂しい限り。


 東大寺  (とうだいじ、華厳宗大本山) 2015/12/26

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この後も行く場所が決まらなかったのでお決まりの東大寺・興福寺に決めて、まずは東大寺から。南大門の金剛力士(国宝)をひとしきり眺めてから左手の東大寺ミュージアムへ。千手観音(重文)は 旧三昧堂本尊で量感たっぷり、いつ見ても千手観音界のボスのようなすごい貫禄。特別展示の旧眉間寺本堂の三尊は一具ながら雰囲気がそれぞれ異なる。中尊・阿弥陀如来(重文)は定朝様、右手の釈迦如来こちらも定朝様っぽいが口元がおちょぼ、左手の薬師如来少々厳しめの顔で上記2像より後の時代の作と想定される。続いて、法華堂で暫し休息.....不空羂索観音(国宝)を中心とした国宝仏群に囲まれてまったり。16時少し前に退堂したが、既に三昧堂は閉堂してて拝観できず。二月堂経由で裏参道を通って駅に向かう。

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 興福寺  (こうふくじ、法相宗大本山) 2015/12/26

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こちらも16時で終わりかと思っていたら、何と17時まで開いてる。東大寺からユルユル歩いてきたので結局17時少し前に到着し国宝館も東金堂も入れず。


京都では寺院間の移動に時間がかかったのと、奈良に入ってからは行き当たりばったりであまり多く回れなかったが、今回は2日あるのでこのくらいがちょうどいいのかも。この日は何と言っても行快作の三尺阿弥陀と寿宝寺の千手観音が印象深い。 

京都に戻ってからガシャポンでこれをゲット.....本物は見れなかったけどね。

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仏師・行快の仕事

注意:内容が冗長であり、内容についても個人調べの程度という事を最初に記しておく
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快慶・三尺阿弥陀を調べてて、別で気になったのが快慶の高弟である行快の仏像。行快仏は10躯近くあるようだが、あまり詳しくは調べてないので、過去の銘文発見時の新聞記事などで情報を探してみた。

①快慶の一番弟子、行快の作 大阪・金剛寺の重文仏像 (2010年11月
article1  『大阪府河内長野市の金剛寺にある重要文化財「不動明王坐像」(像の高さ258センチ)が、鎌倉時代の仏師快慶の一番弟子だった行快の作と分かり、同市教育委員会が10日発表した。修理方法などについて指導している長田寛康大阪経済大教授(美術史)は行快作とされる仏像はほかに7体あるが、今回のが最大で代表的な仏像となるだろう。制作年代も判明したことで、寺の変遷も分かる」としている。(後略) 〔共同〕

行快の作の仏像と確認 [滋賀] (2011年7月
article2 『滋賀県大津市の天台真盛宗総本山・西教寺に安置されていた木造阿弥陀三尊像の1体から、鎌倉時代を代表する仏師、快慶の一番弟子・行快(ぎょうかい)の墨書が見つかり、2011年7月15日(金)、大津市歴史博物館が発表した。銘文で行快作と確認されたのは7件目で、その中では最古。鎌倉初期の1216~1227年ごろの作品とみられる。行快の作品は大きな目やきつい表情などが特徴とされてきたが、同像の目は細く、優しい表情で快慶の作風に近い。(後略)』 〔InternetMuseum〕

長浜市指定文化財 木造阿弥陀如来立像(浄信寺) (2013年9月
 article3『(前略)平成24年に、大津市歴史博物館と東京文化財研究所が実施した文化財調査によって、左足枘(あしほぞ)外側に記された墨書きが「□□/法橋行」と読めることが判明しました。(中略行快の銘をもつ作品は全国で8例ほどが確認されていて、県内では、同じく法橋時代の作である大津市坂本・西教寺阿弥陀三尊像や、法眼時代の作である西浅井町菅浦・阿弥陀寺阿弥陀如来立像(1235年、重要文化財)などが知られます。(後略) 〔ながはまの文化財〕



記事①より金剛寺像・西教寺像・浄信寺像を除いて7躯あることになる。Webや文献を検索した結果、行快仏7躯は以下の1~7あたりになるかと思われる(順番は適当)。ただし、6・7は若干あやしい....「
行快作と想定される」「行快の作風に極めて近い」といった表現であくまでも推定行快作。

1.大報恩寺(京都) 釈迦如来 1227年頃 「巧匠法眼行快」
2.妙法院(京都) 千手観音 1249~63年 「巧匠法眼行快
3.阿弥陀寺(滋賀) 阿弥陀如来 1235年 「巧匠法眼行快」
4.極楽寺(滋賀) 阿弥陀如来 1227年 「法橋行快造之」
5.北十萬(大阪) 阿弥陀如来 13世紀前半 「巧匠法眼」
6.浄土宗(京都) 阿弥陀如来 1212年 推定 ※旧・玉桂寺(滋賀)所蔵
7.遍照寺(三重) 阿弥陀如来 鎌倉中期 推定

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記事①~③の仏像は以下の8~13の6躯。

8.金剛寺(大阪) 不動明王 1234年 「造立大佛師法眼行快」銘 ・・・記事①
9.同上 降三世明王  同上 推定
10.西教寺(滋賀) 観音菩薩 1216~27年 「巧匠 法橋行快」銘 ・・・記事②
11.同上 阿弥陀如来  同上 推定
12.同上 勢至菩薩  同上 推定
13.浄信寺(滋賀) 阿弥陀如来 1216~27年 「□□ 法橋行」銘 ・・・記事③
 
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以下のように記事の内容と照合しても矛盾がないように思える。(前述のように6・7あたりはあやしいけど)
②の記事:1~12の中で7件(1・2・3・4・5・8・10)に銘あり。
③の記事:1~13の中で、13は銘がある仏像としては8例目。


上記が正しいとすると、結論として...

行快銘がある仏像は
8躯

推定行快とされる仏像を加えると
13躯


...となる。半分以上が阿弥陀如来だが意外と多作、ここ最近1~2年おきに発見されてるので今後も増える可能性がある。ただ、拝観したことがあるのは金剛寺像、妙法院像、浄土宗像の4躯のみ、なかなか拝観は難しそう。
他に銘がある仏像、行快系統と想定される仏像は以下の通り。E6~E9は行快が作った可能性はあるものの基本的には快慶仏として扱われてる。

E1.峰定寺(京都) 阿弥陀如来 12xx年 行快または周辺
E2.常福寺(富山) 阿弥陀如来 12xx 行快または周辺
E3.西岸寺(滋賀) 阿弥陀如来 12xx 行快周辺
E4.華階寺(滋賀) 阿弥陀如来 12xx 行快周辺
E5.青龍寺(滋賀) 阿弥陀如来 12xx 行快周辺
E6.大報恩寺 優波離 1220 「法眼快慶□□行快法橋」銘 =快慶仏
E7.同上 阿那律 同上 推定
E8.同上 富楼那 同上 推定
E9.藤田美術館 地蔵菩薩 1208~23 「巧匠法眼快慶」「開眼行快」銘 =快慶仏

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行快仏は快慶の作風を踏襲しつつも、吊り目気味な顔立ちや、釈迦如来・明王像など堂々たる体躯で快慶仏以上に迫力があり、独自の個性を確立している点が魅力的。10年ほど前の書籍 「日本の美術(No459) 鎌倉時代の彫刻」 に興味深い記述がある。

 『大報恩寺や阿弥陀寺像を見ていると、行快は徐々に運慶風に心惹かれていったかにみられる。逆に湛慶は、快慶との造像も多く、快慶の影響を受けたように見えるのは面白い。』


運慶の後継=湛慶が快慶に、快慶の後継=行快が運慶に、それぞれ傾倒していったのだとしたらそれは慶派の棟梁・運慶には看過することができなかったかもしれない。もしかしたら運慶が生前に、快慶に傾倒していく湛慶に危機感を覚え、自分の作風を踏襲する次男・康運(=肥後定慶)に慶派の嫡流を継がせようとして三代目に康運の子息・康円を指名したのかもしれない。(康運=肥後定慶、康円=康運子息は一説であり、異説もある) 運慶没後、三十三間堂の復興事業では湛慶・康円・行快が慶派の代表格として共に活躍しているのは興味深い。後継者にしてみれば常に運慶と比較されるのは辛かったのかもね。いずれにせよ、時代と共に仏像の需要減退もあって運慶風は徐々に影を潜めていくことになる。

行快仏を調べてたはずがいつの間にか色々と妄想してしまった。仏像を
二次元でしか見ていないとこうなるので、年末にはどこか仏像拝観に出かけないと。
 

快慶…三尺阿弥陀の貌(3)

快慶・三尺阿弥陀の貌シリーズ第3弾

〔参考〕
第1弾 
快慶…三尺阿弥陀の貌
第2弾 快慶…三尺阿弥陀の貌 (改)

....といっても画像を差し替えただけ。新ネタもなく少々マンネリ気味。

前回から異なるのは、像高に基づき相対的に画像の大きさを変えてある点。また、快慶・作としていた興善寺像を外してある。何故ならば顔付きが少々他の快慶仏と異なる(画像で見た限りだが...)のと、像高がこの像だけ90cm級で他と大きさが異なる、といったところから。

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改めて画像で比較してみると、制作年代順があっているかは相当怪しいが、「貌」の変遷がわかって興味深い。

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おまけでもう一つ、快慶の高弟である行快・作の三尺阿弥陀と、快慶/行快に近い仏師の作と思われる像。
華階寺像は像高情報が見つけられず、取りあえず100cm級くらいと想定してある。

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※下記の追記を参照

上記で実際に拝観したことがあるのは、快慶仏が6躯、行快仏が1躯、その他が3躯、と少ない。その殆どが予約拝観になるので、全て拝観するのはかなり難しそう。是非ともここらで大規模な快慶展を開催してほしいものだ。


(追記) わかる範囲で文化財指定を追加。Wikipediaによると、本当かどうかわからないが、興善寺像は重文ながら古文書の附属的な扱いのようだ。確かに文化財データベースの仏像一覧には興善寺像が出てこないので不思議に思っていた。
>重要文化財: 源空、証空等自筆消息 2巻(附:木造阿弥陀如来立像1躯、漆塗筒形納骨器1箇)
>「古文書」として重要文化財に指定されており、阿弥陀如来像は重要文化財の「附」(つけたり)扱いになっている。
<Wikipediaより>

(追記2) 快慶・行快系統以外の三尺阿弥陀もいくつかピックアップして追加。
*海外の美術館蔵の2躯については
台座を含めた 増高しか記載がなかったので、像・台座のおよその比率より80cm級と想定。
藤田美術館像は取りあえず100cm級くらいと想定してある。


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