久々に気合を入れて早朝に自宅を出る。二子玉川駅に9時過ぎに到着、バス停に向かうも目の前でバスが出発してしまう・・・・出鼻をくじかれるが次が20分後くらいなので徒歩で現地へ向かうことに。天気がよく歩いてても爽やか、世田谷の閑静な住宅街をぬけ、川沿いの小洒落た歩道を進み、歩くこと15分以上、そろそろ入口に到着する筈・・・・と地図をみると・・・・だいぶ前に通り過ぎてたことが発覚・・・・しかし裏門が近いことに気付きそちらへ。

0430_03

激坂を上り裏門に到着・・・・ただまったく開く気配なし・・・・元の道を戻ること5分、先ほど通り過ぎた個所を曲がりようやく入口に到着。静嘉堂文庫美術館へ初見参!

0430_04

看板が出ててテンション上がる。しかしここから更に上り坂を歩くこと3~4分、ようやく美術館が見えてきた。

0430_05

10時前だが既に待ち行列・・・・午後の講演の整理券のために並ぶのだ!既に20人ほど並んでるが、先着120名までなので何とかなりそう。自分もそれなりの年齢だが、並んでおられたのはご先輩方たちで皆さん資料片手に超マニアックなオーラ全開だった。自分もその類のはずなのだが全然次元が違う感じがして、まだまだだなぁと感じた次第。そして10:00に開館して整理券をゲット!気合入れた甲斐あって20番以内だった。チラッとだけ十二神将を見て、すぐに退出。


前置きが長くなったが、静嘉堂文庫美術館で13:30から山本勉氏の講演があるため整理券をもらいに朝早くから気合入れて来館したのだった。
講演まで3時間以上もあるので一旦駅へ引き返す。帰りはうまいことバスに乗れた。電車で数駅先、久々にこちらを訪寺。


 九品仏浄真寺  (くほんぶつじょうしんじ、浄土宗)  2016/4/30
前回は紅葉の時期だったが今回は新緑がまぶしい。
0430_01
先ほどかなり歩いたので、こちらで暫くゆっくりとさせて頂いた。阿弥陀如来の修復は1躯ずつ、2034年まで続くらしい・・・・今回はお目当ての場所ではないので詳細は割愛。



 静嘉堂文庫美術館 
 2016/4/30
リニューアルオープン展 第3弾 よみがえる仏の美~修理完成披露によせて~
再び美術館に戻り、あらためて入館。また、駅から歩いたのでだいぶ体力消耗。
0430_06

十二神将は1躯ずつガラスケースに入っており、どの方向からも拝観可能。横から見ると髪のなびく様、後ろから見ると獣皮を纏ってるところなどがよくわかる。截金模様が所々に残り、表情も近くでハッキリとわかるので拝観環境としてはかなり良い。以前から気になっていた亥神が修復中のため展示されてないのが残念だが、それはまた次への楽しみに取っておくこととする。
0430_08
壁にあるパネルには修復した部分や苦労点などのエピソードが書かれていて興味深い。各像の感想は以下の通り。
■寅神: 若干ポーズがギコちない。甲冑の意匠は4躯の中では一番凝っている。
■卯神: 黒目が大きいせいか、一番目力が強く、顔付きが運慶仏に通じてる気がした。
■午神: 肩肘ついて遠くを見つめる姿はバランスが抜群。炎髪が後ろへなびく様も見事。
■酉神: 胸の金色が一際目立つ。ポーズも大振りながら4躯中一番地味にも感じた。

十二神将以外には若冲も真似たという文殊・普賢菩薩像など仏画を中心に、国宝・ 曜変天目など展示されてる。さて、メインイベントである講演が13:30からの始まるので地階の講堂に移動、整理券の番号順で入室したのでスクリーンの見やすい席をゲットできた。

「十二神将像のひみつ―浄瑠璃寺伝来の一具と運慶」
講師:山本勉氏(清泉女子大学教授) 仏像の講演を拝聴するのは数年前に仏像ガールのプレゼンを見て以来で、本格的なものとしては初めて。構成としては、①十二神将の説明 ②浄瑠璃寺からどう流失したか ③運慶の銘文がある可能性 ④十二神将は運慶仏か、というような流れだった。以下、メモに記載した範囲で・・・・

■冒頭・・・・館長からは「運慶?」などと言わず運慶だと断言してくれ、と言われてる(笑)

■薬師寺・薬師如来台座にある12の異形は十二神将とも考えられる
■兵庫・東山寺の十二神将は十二支と結びついた最古の例で、学術的に重要
■奈良・東大寺の十二神将は頭部だけでなく帯喰(おびくい:胴部につけるもの)にもあり、この時代は仕様が固まっていない
■十二支の獣頭人身の図像はあるが、彫刻としては例がなくこの形式は好まれなかった
■定智本の十二神将像に倣う例が多くあり、伝浄瑠璃像一具もこれに当てはまる。ただし伝浄瑠璃寺像のうち4躯は図像と異なるが、それらは魚の口を袖口に腕を通したり、獣の鼻に輪を通すなどグロテスクなものであり、意図的に避けたと思われる
■神野祐太氏の十二神将の流出経緯や運慶銘発見記事の論文は優れており、今回もそちらより引用
■今回修復した4躯と東博の3躯からは銘文が発見されなかった。残りの5躯の調査結果が待たれる。
■古仏である薬師如来を秘仏として隠す際に、新たな脇侍菩薩や十二神将を配置する事で薬師如来がそこにいることを伝えたのではないか
■興福寺・南円堂の四天王は、元来北円堂にあり弥勒如来と一具だったとする説が有力
■南円堂の四天王と十二神将を比較すると、四天王は重厚、十二神将は軽快のように違いがある
■運慶は如来・菩薩は彫眼にしているが、眷属についてはケースに合わせて玉眼を使用するなど効果を考えている
■最後に・・・・十二神将は運慶作と捉えてよいレベル

※配布された資料にあった内容についてはメモ取らなかったので、これ以外にも色々あったが・・・・


以下のように玉眼を比較をする画像もあった(これは自作したものだが・・・・)

0430_07


卯神だけ黒目部分が大きく、他の3躯は小さ目に感じるがこれは何故だろうか?質問してみたかったのだが、できるはずもなく。館長の長い話の後、お二方が質問されていたが内容は失念。15:00過ぎに終了したので、実質90分くらい。内容的には満足度の高い講演だった。機会があれば是非また受講したい。


この後、徒歩で駅まで戻り、東博に向かおうとしたが、16:30ギリギリに到着予定だったため断念し帰路についた。