注意:内容が冗長であり、内容についても個人調べの程度という事を最初に記しておく
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快慶・三尺阿弥陀を調べてて、別で気になったのが快慶の高弟である行快の仏像。行快仏は10躯近くあるようだが、あまり詳しくは調べてないので、過去の銘文発見時の新聞記事などで情報を探してみた。

①快慶の一番弟子、行快の作 大阪・金剛寺の重文仏像 (2010年11月
article1  『大阪府河内長野市の金剛寺にある重要文化財「不動明王坐像」(像の高さ258センチ)が、鎌倉時代の仏師快慶の一番弟子だった行快の作と分かり、同市教育委員会が10日発表した。修理方法などについて指導している長田寛康大阪経済大教授(美術史)は行快作とされる仏像はほかに7体あるが、今回のが最大で代表的な仏像となるだろう。制作年代も判明したことで、寺の変遷も分かる」としている。(後略) 〔共同〕

行快の作の仏像と確認 [滋賀] (2011年7月
article2 『滋賀県大津市の天台真盛宗総本山・西教寺に安置されていた木造阿弥陀三尊像の1体から、鎌倉時代を代表する仏師、快慶の一番弟子・行快(ぎょうかい)の墨書が見つかり、2011年7月15日(金)、大津市歴史博物館が発表した。銘文で行快作と確認されたのは7件目で、その中では最古。鎌倉初期の1216~1227年ごろの作品とみられる。行快の作品は大きな目やきつい表情などが特徴とされてきたが、同像の目は細く、優しい表情で快慶の作風に近い。(後略)』 〔InternetMuseum〕

長浜市指定文化財 木造阿弥陀如来立像(浄信寺) (2013年9月
 article3『(前略)平成24年に、大津市歴史博物館と東京文化財研究所が実施した文化財調査によって、左足枘(あしほぞ)外側に記された墨書きが「□□/法橋行」と読めることが判明しました。(中略行快の銘をもつ作品は全国で8例ほどが確認されていて、県内では、同じく法橋時代の作である大津市坂本・西教寺阿弥陀三尊像や、法眼時代の作である西浅井町菅浦・阿弥陀寺阿弥陀如来立像(1235年、重要文化財)などが知られます。(後略) 〔ながはまの文化財〕



記事①より金剛寺像・西教寺像・浄信寺像を除いて7躯あることになる。Webや文献を検索した結果、行快仏7躯は以下の1~7あたりになるかと思われる(順番は適当)。ただし、6・7は若干あやしい....「
行快作と想定される」「行快の作風に極めて近い」といった表現であくまでも推定行快作。

1.大報恩寺(京都) 釈迦如来 1227年頃 「巧匠法眼行快」
2.妙法院(京都) 千手観音 1249~63年 「巧匠法眼行快
3.阿弥陀寺(滋賀) 阿弥陀如来 1235年 「巧匠法眼行快」
4.極楽寺(滋賀) 阿弥陀如来 1227年 「法橋行快造之」
5.北十萬(大阪) 阿弥陀如来 13世紀前半 「巧匠法眼」
6.浄土宗(京都) 阿弥陀如来 1212年 推定 ※旧・玉桂寺(滋賀)所蔵
7.遍照寺(三重) 阿弥陀如来 鎌倉中期 推定

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記事①~③の仏像は以下の8~13の6躯。

8.金剛寺(大阪) 不動明王 1234年 「造立大佛師法眼行快」銘 ・・・記事①
9.同上 降三世明王  同上 推定
10.西教寺(滋賀) 観音菩薩 1216~27年 「巧匠 法橋行快」銘 ・・・記事②
11.同上 阿弥陀如来  同上 推定
12.同上 勢至菩薩  同上 推定
13.浄信寺(滋賀) 阿弥陀如来 1216~27年 「□□ 法橋行」銘 ・・・記事③
 
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以下のように記事の内容と照合しても矛盾がないように思える。(前述のように6・7あたりはあやしいけど)
②の記事:1~12の中で7件(1・2・3・4・5・8・10)に銘あり。
③の記事:1~13の中で、13は銘がある仏像としては8例目。


上記が正しいとすると、結論として...

行快銘がある仏像は
8躯

推定行快とされる仏像を加えると
13躯


...となる。半分以上が阿弥陀如来だが意外と多作、ここ最近1~2年おきに発見されてるので今後も増える可能性がある。ただ、拝観したことがあるのは金剛寺像、妙法院像、浄土宗像の4躯のみ、なかなか拝観は難しそう。
他に銘がある仏像、行快系統と想定される仏像は以下の通り。E6~E9は行快が作った可能性はあるものの基本的には快慶仏として扱われてる。

E1.峰定寺(京都) 阿弥陀如来 12xx年 行快または周辺
E2.常福寺(富山) 阿弥陀如来 12xx 行快または周辺
E3.西岸寺(滋賀) 阿弥陀如来 12xx 行快周辺
E4.華階寺(滋賀) 阿弥陀如来 12xx 行快周辺
E5.青龍寺(滋賀) 阿弥陀如来 12xx 行快周辺
E6.大報恩寺 優波離 1220 「法眼快慶□□行快法橋」銘 =快慶仏
E7.同上 阿那律 同上 推定
E8.同上 富楼那 同上 推定
E9.藤田美術館 地蔵菩薩 1208~23 「巧匠法眼快慶」「開眼行快」銘 =快慶仏

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行快仏は快慶の作風を踏襲しつつも、吊り目気味な顔立ちや、釈迦如来・明王像など堂々たる体躯で快慶仏以上に迫力があり、独自の個性を確立している点が魅力的。10年ほど前の書籍 「日本の美術(No459) 鎌倉時代の彫刻」 に興味深い記述がある。

 『大報恩寺や阿弥陀寺像を見ていると、行快は徐々に運慶風に心惹かれていったかにみられる。逆に湛慶は、快慶との造像も多く、快慶の影響を受けたように見えるのは面白い。』


運慶の後継=湛慶が快慶に、快慶の後継=行快が運慶に、それぞれ傾倒していったのだとしたらそれは慶派の棟梁・運慶には看過することができなかったかもしれない。もしかしたら運慶が生前に、快慶に傾倒していく湛慶に危機感を覚え、自分の作風を踏襲する次男・康運(=肥後定慶)に慶派の嫡流を継がせようとして三代目に康運の子息・康円を指名したのかもしれない。(康運=肥後定慶、康円=康運子息は一説であり、異説もある) 運慶没後、三十三間堂の復興事業では湛慶・康円・行快が慶派の代表格として共に活躍しているのは興味深い。後継者にしてみれば常に運慶と比較されるのは辛かったのかもね。いずれにせよ、時代と共に仏像の需要減退もあって運慶風は徐々に影を潜めていくことになる。

行快仏を調べてたはずがいつの間にか色々と妄想してしまった。仏像を
二次元でしか見ていないとこうなるので、年末にはどこか仏像拝観に出かけないと。